あたしの名前をちゃんと呼んで


ヨーグルト食い過ぎ


うちの甥っ子は、やっと単語を口にしはじめた頃
私を「わんわん」と呼んでいました。
何故にわんわんなのかは知る由もありません。
誰も私をわんわんなどと呼ぶ者はいません。
SMが好きなわけでもありません。
強いて言うならどっち寄りか、それについては言及を控えます。



私も家の者も、「おばちゃん」または「285」と呼んでいるはずなのに。
なんで…?幼児の思考回路はラビリンス。
母親は「かーかん」父親は「とーたん」祖母は「ばーば」祖父は「じーじ」
なんで俺だけ「わんわん」…?
いやいいんですよ。かまわない。
わんわんだろうがりんりんだろうがらんらんだろうが。
結構可愛いじゃないですか、幼児にわんわんと呼ばれるなんて。
私を「わんわん」と呼ぶことそのものは問題ではないのです。


問題は、近所の犬(老いたシベリアンハスキー)も
NHK教育の子供番組に出てくる着ぐるみも
アザラシのぬいぐるみもマグカップに描かれた謎の動物も




なんか人間以外の生き物めいたもの全てを
あいつが「わんわん」と呼んでいることです。





「わんわん」が私を指す固有名詞ならまあ良いんですよ。
でも…わんわんいっぱいいるじゃん!!しかも人間じゃないし!!
私、one of them じゃん!one of wangwangsじゃん!
あいつにとって私は何なんでしょう。
私はどういう存在としてあいつに認識されているのでしょう。
おかしい。
私は人間の個体として存在を認められていないのかもしれない。
たくさんいるわんわんの内の一体でしかないのか。
あいつにとって、私をわんわんと呼ぶことは
牧場で、たまたま寄って来た一頭を「うし」と呼ぶことと同じなのか。




そんな叔母としての煩悶を繰り返していたら
そのうち呼んでさえくれなくなりましたがね。




い…いいもん。悲しくなんてない…もん…
涙じゃないよ…鼻汁が目から出たんだよ…





そんなあいつでしたが、成長して最近はすっかりおしゃべりが上手になりました。
舌っ足らずに何かしら良く喋ります。
宇宙語ばかり喋っていたのに、今は単語ながらも意味のある日本語を口にします。
たまに会話にもなります。 
私:「こっちおいでー」 甥:「やだー」 …とかね…。
そして、やっと私のことをそれなりに呼んでくれるようになりました。
長かったここまでの道のり。



「おああん」とか言います。
たぶん、「おばちゃん」と呼ぼうとしているのでしょう。
まだしっかり発音できないらしく、呼びにくいようです。



5回に1回くらいの割合で、うっかり「おいたん」と呼ばれてしまう件については
もう目をつぶることにします。
間違えてるだけでしょ?そうなんでしょ?そうだと言って!!!